わーわー言うとりますが

がんばっていかなあかんなー言うてますけど

【悲報】5月

あっという間に5月になってしまった・・・。

 

4月までに15記事書くぞ!と言いながら実際に書けたのは11記事!やってしまった。

 

言ったことは守らないといけませんね。

 

 

5月に入ったということで、それと同時に歳を1つ重ねました。もうこの歳になるとお祝いされることも減るな〜と思ってましたが、Facebookではたくさんの「おめでとう!」コメントが。

 

中には「一応、おめでとう」という生意気なコメントもありましたが、それも嬉しいもんです。

 

それこそ昔はメールで「おめでとう〜!」だったけど、いまやメールなんて仕事でしか使ってない。ほぼLINEか、次にMessengerって感じ。

 

 

という感じで歳をとったわけなので、いろいろと変化をしたいなと思っています。最近は仕事の幅も広がってきたし、昔よりも圧倒的に仕事量が増えてるんですが、いまの方が楽しいです。

 

努力と成果は連動しない、ってのが一つ大事なポイントだと思ってます。よく言うあれですね、「こんながんばってるのに!」「なんで評価されないんだ!」っていうやつ。

 

 

「勝手に忙しくしている人」にあまり同情の余地はない。 | Books&Apps
2017/04/26 20:18

 

 

これは評価の軸が自分になってしまっている良くない例。「これだけやれば評価される」と勘違いしてしまっている状況。

 

もちろんそういう立場の人もいるんでしょうけど、大半の人はそうではないはず。組織に属している以上評価する人がいるし、評価の軸はその人のはず。

 

だから「がんばった」「これだけやった」=「評価者が評価する」とは限らない。(もちろん努力の量が評価軸になる場合は別だけど、そんな評価にあまり意味はなさそう)

 

 

じゃあ、なにで評価されるのか? ここをきちんと理解しなければならない。

 

「評価されることさえやればいい」と言うと誤解されそうな気もするけど、要するに「求められていることをきちんと返しましょう」って話で。最近はここを意識するようにしています。

 

だから机にメモ書きが貼ってます。「やるべきこと、やらなくてよいことをきちんと認識しましょう」と。

やるべきことは当然「求められていること」だし、やらなくてよいことは「求められていないこと」。「こうした方がおしゃれなんで!」って勝手に装飾しておしゃれにしたところで、「いやそれ求めてないから」と言われればそれは何の価値もない。

 

 

ビル・ゲイツだったかの話だったか忘れたけど、「パーティー会場に飾る花束を準備してくれ」と言われたら「花束を用意すれば昼寝してもよい」みたいな話がある。

 

勘違いしちゃいけないのは、与えられた(求められている)仕事は「花束を用意する」ことであって、「花屋さんに花束を注文する」ことではない、ということ。

 

もし花屋さんに注文したはずが会場までの道で大渋滞し、「花束が時間通りに届かない!」となんてことになってはいけない。そういう事態になっても、どうにか花束を用意する方法を考えなければならないし、なにより用意しなければならない。

 

逆に、花束を用意しさえすれば裏で昼寝してたって怒られない。(極端だけど)

 

とまあそんな感じで求められていることをきちんと認識して、やるべきことをやりましょうという話。ほんで、その求められている幅が広がってきて楽しいな、というお話でした。

 

 

 

(こんなブログなら15記事くらい余裕でいけたんじゃないだろうか)